2011年06月29日

ハリーポッター



ハリーポッターを知らない人というのは、日本国内でもごく少ないだろうと思います。


二十世紀末のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリーポッターとそれを取り巻く魔法世界を描いた本作は、現在全世界で累計数億部を売り上げる大ヒットを飛ばしました。


これはそのシリーズの初期から際立っていて、シリーズ第一巻である「ハリーポッターと賢者の石」はロンドンのブルームベリー出版から刊行された直後に、全く無名の新人作家の初作であるにも関わらず大好評を白紙、瞬く間にベストセラーになったという経緯があります。


一応児童文学という体で売り出されていますが、その読者層は子供のみにとどまらず、大人や老年層にも愛読され、世代の枠を超えたファンを獲得しています。日本語版のタイトルは必ずハリーポッターの○○と○○という形をとっています。


2007年にはついにシリーズ最終巻の原書が発売され、国内でも翻訳が待たれている状態です。


またこの国内での翻訳出版の権利を持っている静山社についての話もなかなか興味深いものがあります。静山社はもともと1979年創業の出版会社なのですが、創設当初から民衆史や闘病記などの出版を中心に行ってきた社会派の出版社でした。特に1986年からは筋萎縮性側索硬化症の患者手記を多く出版しており、ALSに関する書籍も数多く刊行してきました。同時に創業者であった松岡幸雄は日本ALS協会を設立し、支援にも尽力しています。


しかし1997年、その松岡幸雄が死去し、妻だった松岡祐子が取締役を引き継ぎました。


この当時は会社の経営も芳しくなく、夫を無くした哀しみもあってか、静山社新社長松岡祐子は底辺の状態だったことを後に語っています。


しかし、このつらい二年間の後、松岡はハリーポッターと出会うことになるのです。既に海外で大ブームになっていたハリーポッターの原書を読んだ松岡は最初「こんなに面白いんだからもう大手の出版社が権利をとってるんだろう」と諦め気味だったそうです。しかし確認をとってみたところ、その時点で日本の出版社でハリーポッター翻訳の権利を有している会社はなく、静山社に絶好のチャンスが舞い込みます。


そうしてそのチャンスをしっかりとキャッチした静山社は、初の文学作品にしてベストセラーという、ある意味で原書のヒットをなぞるような経緯をたどりました。


そもそもこの松岡女史とハリーポッターの出会いは知人を介してのものだったらしいですが、やはりどこかで「魔法」が働いていた、と考えるのもロマンがあっていいかもしれません。


posted by 智恵蔵 at 11:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月28日

ハニカミ



ハニカミ王子が話題になったのも、もうかなり懐かしい話題ではないかと思います。


ハニカミ王子こと石川遼は埼玉県松伏町出身。2008年現在で十七歳になるプロゴルファーです。


今では知らない者は少ないほど有名なゴルファーであるこの石川遼ですが、そのゴルフとの出会いは六歳の頃に父にゴルフ場に連れて行ってもらったことだと言います。このことをきっかけにしてゴルフと出会い、のめりこんでいくわけですが、意外にも小学校の時はゴルフ部があったにも関わらず陸上部に所属していたそうです。


やがて2004年に全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝すると、それをきっかけにして関東中学校選手権、全国中学校選手権退会春季大会などの優勝を総なめにし、全国規模の大会で常に上位に食い込むプレーヤーとなります。


そして2007年度。高校生になった石川遼はマンシングウェアオープンのKBSカップで日本のプロゴルフの大会としては史上最年少で優勝を奪取。アマチュアとしては1980年の倉本昌弘に続いて二人となる男子ツアー制覇の快挙を成し遂げます。大会の初日が暴風により中止になったため、最終日にニラウンドが行われたその日、高校生でありながら三十六ホールを回って逆転優勝を果たしたこの記録は世界での最年少優勝記録となり、ギネスのワールドレコードにも認定されました。ちなみにこれは二日目終了時点でトップと七打差、トータル二十三位という位置からの逆転であり、まさに辞書に載せたいほどの大逆転でした。近年の成績では同年七月に行われた世界ジュニア選手権で個人二十三位。八月に霞ヶ関CCで開催された日本ジュニアゴルフ選手権男子十五〜十七歳の部では大会市場最年少の十五歳十一ヶ月で初優勝、と快進撃を続けています。


直後のフジサンケイクラシックでは二日までは首位と三打差の六位から三日でスコアを落とし、結局通算一オーバーの214で十五位に終わるものの、それでも出場アマチュア選手中最上位を記録。同様に、東海クラシック、三井住友VISA太平洋マスターズでもこのローアマチュアを獲得しています。またマンシングウェアオープンでの優勝によって、その年のツアー優勝者に参加の資格が与えられるゴルフ日本シリーズJTカップにアマチュアとしては史上初めて出場しました。


昨年の流行語大賞にもなった愛称だるハニカミ王子というのは、このマンシングウェアオープンの優勝インタビューの言動に対する評価として生まれたもので、名付け親はこの大会の実況を担当した瀬戸内海放送の多賀公人アナであると言われてます。優勝インタビューのときにふと呼んだハニカミ王子という言葉が、石川遼のキャラクターを的確に捉えていた、ということでしょう。


また定着に理由としては、同時期に既に定着していたハンカチ王子こと斉藤祐樹投手の存在があったことも上げられています。


posted by 智恵蔵 at 12:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

パナソニック



パナソニックは松下電器の商標で、ナショナルやテクニクスと並ぶ松下ブランドの一つでもあります。


パナソニックという名前は「全て」という意味の「PAN」と、「音」を意味する「SONIC」から来ており、これは松下が海外に事業を進出する際、既に旧ブランドと同じ「National」という商標が登録されていた事と、ナショナルという響きが国家主義ととられかねない為に、新たに海外ブランド用の名称が必要になったのがきっかけだといわれています。


1995年に輸出用のスピーカーブランドとして用いられたのが名称の始まりで、当初は主に対米に対する輸出ブランドとして有名でした。


現在では日本国内を除く世界各国で白物家電部門や松下の電化製品は全てこのパナソニックというブランド名で統一されており、またグローバルブランドスローガンとしては「パナソニック・アイデア・フォア・ライフ」という呼び方を導入しています。


当初、日本国内では映像や音響機器の部門にはナショナルのブランド名を使っていましたが、ヨーロッパでは商標の権利関係で使用できないこと、そして保守的なイメージの刷新を図るという戦略によって1986年からはパナソニックブランドを使っています。なお、1988年まではMSX2パソコンや自動車用のオーディオを除くAV機器にはナショナルブランドを使っていましたが、同年のカラーテレビとビデオデッキ発売を契機に、全面的にパナソニックブランドへの移行を行っています。またソニーがまだvaioシリーズでパソコン業界に進出する前までは、IBM5535などをソニーの社内で使用していたこともあるそうです。


2008年の現在の時点では、松下電器製品を初め、電子機器、制御機器、カーナビや盗難防止装置などの自動車用デバイス、通信デバイスなどにも全てパナソニックの商標が使用されています。また1960年代から1970年代にかけては国内で販売されていたトランジスタラジオに「ナショナルパナソニック」の商標が用いられ、同様に「ナショナルテクニクス」などというようにブランド名を併記する場合もあったようです。


またパナソニックの母体である松下電器は知財活動も盛んで、米国の特許出願件数はIBMに続き、キヤノンなどと常に二番手を争うほど活発です。


現在では薄型テレビやデジカメ、DVDレコーダーなどのいわゆる「新三種の神器」の普及に力を入れています。


かつては他社で好評だった技術をすぐに自社製品化して対抗するところから「真似した電器」と揶揄されることもありましたが、現在は独自の技術を中心とする経営方針に切り替えています。


ラベル:パナソニック
posted by 智恵蔵 at 10:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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