2011年09月06日

プロレス



プロレスは、「K-1」や「プライド」の人気に比べて、かっての隆盛はないと言えますが、IT時代を迎えてプロレスもあらたな展開を見せ始めています。純粋な格闘技として「K-1」や「プライド」と比較するべくもありませんが、興業としてプロレスを見た場合、TVでの放映を前提とした以前のプロレス興業は影をひそめましたが、その分CSやBSでの専用チャンネルやインターネットを介したマッチングの紹介、地方のプロレス団体の勃興で、大規模な興業の代わりに、中小のイベントが多くなり、また女子プロレスなども細々ながら、根強い女子プロレスファンに支えられて、生き残っています。


「K-1」や「プライド」と言ってもそのルーツは、ジャイアント猪木とモハメッド・アリの異種格闘技戦がそのルーツとも言えますが、所詮はプロレスを母体にしている限り、リアルファイトという真剣勝負の格闘技戦は、プロレスの興行形態では無理な話で、ジャイアント猪木の師匠にあたるカール・ゴッチがリアルファイトのストロングタイプのプロレスをやっていたとは言え、それを受け継いだとされるジャイアント猪木でさえ、プロレス興業と言う枠組の中で、単にストロングタイプでリアルファイト風プロレスを演じていたに過ぎません。


プロレスファンはそうした内容を知った上で、プロレスを楽しみたいと言う人たちが多く、真剣勝負の格闘技が必ずしも面白いかと言えば、一概にそうとも言えません。そうした格闘技ファンの意識の変化は、アニメのキン肉マンなどのリバイバルなどから窺えます。勧善懲悪の時代劇がいつの時代でも喜ばれるように、プロレスもシナリオのある格闘技ドラマと考えるべきで、生き死にをかけたような格闘試合を見て楽しむより、余程趣味が良いと言えます。


格闘技の技を見て楽しむのであれば、「K-1」や「プライド」などよりプロレスの方がよっぽど楽しめます。健全な社会であれば、かってのローマ時代のような、奴隷同士やライオンと生死をかけて戦わせるような、過激な格闘試合は慎まれるべきです。「K-1」や「プライド」に限らず、ボクシングなどでも、パンチドランカーやリング上での事故死によって悲惨な結果に終わる例はいくらでもあります。そうした格闘競技は、スポーツとは呼べませんし、精神的に不健康であると言えます。こうした反省に立てば、今までのようなリアルファイトの「K-1」や「プライド」よりは、もっとプロレスが格闘競技として見直されてもよいと言えますが、格闘競技を見世物にすること自体、如何なものでしょう。


ラベル:プロレス
posted by 智恵蔵 at 11:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。